1週間ほど前、おばあちゃんから電話がかかってきて、「家のお金がどこにあるのかわからなくなちゃって、私もうだめ〜」というような事を言うので、おばあちゃんのおうちに行ってみました。
認知症(アルツハイマー)は大変
おばあちゃんの家の中を探してみたら、年金が振り込まれている通帳とキャッシュカードはありましたが、通帳の中身はからっぽ。
年金が振り込まれるのはまだまだ1ケ月ぐらい先のようで、そこから電話代や電気代が毎月引かれるようなのでからっぽでは困ります。
「他に貯金はないの?」と私が聞いたら、「そんなのない」とおばあちゃんは答えました。
そのあと、いろいろと別の話をしていたら、おばあちゃんはふと「私800万円の貯金があるの」と言いだしました。
あれ? さっきはないって言ってたのに…。
そのあとまた別の話をしていたら、おばあちゃんは今度は「私1千万円の貯金があるの」と言いだしました。
「おばあちゃん、さっきと貯金の額の桁が変わってるよ」と私が大笑いすると、おばあちゃんも大笑い。
で、そのあとまた別の話をしていたら、おばあちゃんは今度は「私、一銭も貯金がないの」と言いだしました。
言う度に、内容がころころ変わっちゃいます。
まあでも、いくらかは貯金があるはずだから一緒に探そう、と言うことになって、おばあちゃんと一緒にお宝探しのように部屋中を探しまわったところ、こまごまとした定期貯金の通帳がいくつか出てきました。
銀行印も紛失
あちこちにこまごまと定期貯金をしていたら忘れちゃうから、全部下ろして1カ所にまとめよう、と私が提案すると、おばあちゃんも「そうしよう」と言いました。
でも印鑑がどれか全然わからないというので、おばあちゃんが持っていた印鑑を全部預かって銀行に行ったのですが、いくつかの通帳は印鑑が違っていました。
印鑑があったものは解約できるのですが、その前に銀行の人がおばあちゃんに電話をかけて、本当に解約してもいいのかどうか確認する必要があるとのこと。
電話で確認といっても、おばあちゃんは全部忘れているはずなので、いきなり銀行の一方電話がかかってきてもチンプンカンプンです。
なので、銀行の人におばあちゃんがボケていることを説明して、まずは私が先に電話でおばあちゃんにそれまでの経緯をお説明して、そのあと銀行の人に電話を替わってもらうことにしました。
まず私が電話をして、「あのね、おばあちゃん。おばあちゃんは忘れていると思うけど、おばあちゃんは銀行に貯金をしていて、私は今その貯金を下ろしに銀行に来ているから、今から銀行の人に、貯金を下ろしてください、とお願いしてね」と言って、銀行の人に替わって、おばあちゃんに「貯金を下ろしてください」と言ってもらいました。
そんな確認方法で意味があるんだかないんだかよくわからない感じですが、まあ一応それでクリアできました。
で、おばあちゃんのおうちに戻って「印鑑が違った定期預金があったよ」と言うと、「え、何の事?」とおばあちゃんが聞くので、預かった定期貯金の判子が違っていたことを説明すると、「私、貯金なんて一銭もないよ」とおばあちゃんは言います。
およよ。
仕方なく一から説明して、おばあちゃんと一緒にはんこを探したのですが、家中どこを探してもはんこがありませんでした。
はんこがないなら紛失届を出して銀行印を別のはんこに変えなきゃ、と私が言うと、「何の銀行印?」とおばあちゃんが聞くので、「おばあちゃんの定期貯金の銀行印、今部屋中探したけどなかったでしょ?」と私が言うと、「私、貯金なんて一銭もないよ」とおばあちゃんはまた言います。
およよよ。
仕方なくもう一度一から説明して、明日もう一度来るからそれまでにできたらもう一度銀行印を探しておいてね、と言って、預かっていた定期貯金の通帳をテーブルの上に置いて、その日は帰りました。
で、次の日に行くと、テーブルの上に置いていったはずの定期貯金の通帳がなくなっていました。
「あれ、ここに置いていった貯金通帳はどうしたの?」と私が聞くと、おばあちゃんは「え、なんのこと? 私、貯金なんてしてないよ」と言いました。
およよよよよ。
また一から説明したら、おばあちゃんは、はっと我に返ったような顔をして、通帳はベッドにある、と言ったので寝室を見に行ったら、ちゃんとベッドの枕の横に置いてありました。
昨日、これは絶対になくしちゃいけないと思って、枕の横に置いて、一生懸命それを守りながら寝たのでしょう。
おばあちゃんが枕の横に貯金通帳を置いて眠っていた事を想像すると、なんだか涙が出てきそうになっちゃいました。
1人暮らしのおばあちゃんにとって、貯金は自分の生活を守るためのすごく大切なものだったはず。
それなのに、その置き場所を忘れてしまったり、貯金があることすら忘れてしまうときがあったりして、すごく不安なんだろうな、と思います。
そういえば、数ヶ月前、おばあちゃんがまだそれほどボケていなかった頃に一度、電話している最中に、「定期貯金があるんだけどその置き場所を教えておきたい」というような事を言っていました。
どうして急にそんな事を言うのかな、とちょっと不思議に思ったのですが、また今度遊びに行ったときに教えてね、と言ってそのままにしていました。
あのときも、おばあちゃんはときどき定期貯金の置き場所を忘れてしまったりして不安を感じ始めていたのかもしれません。
おばあちゃんはずっと不安だったのに、誰も気づいてあげられず、誰も守ってあげられず、おばあちゃんは孤独なままボケてしまったのかな…と思うとなんだか切なくなっちゃいました。
認知症(アルツハイマー)は少しずつお別れすること
いつかおばあちゃんも一緒に連れて旅行に行きたいね、というような話を他の家族とよくしていました。
でも、結局実行できませんでした。
今からおばあちゃんと旅行に行っても、おばあちゃんの記憶にそのことが刻まれることはないでしょう。
私が毎日のように通っている事も、おばあちゃんは覚えていなくて、「昨日も私、来たよ」と言うと、「え、そう?」とおばあちゃんは不思議そうな顔で言います。
ボケる前の事はよく覚えているのに、最近のことは何一つ覚えていないのです。
だから、もう、おばあちゃんの思い出の中には誰も入れない、ということです。
おばあちゃんの思い出は、朽ちていく事はあっても、もうこれ以上更新される事はありません。
おばあちゃんにはもう「今」しかないのです。
いや、おばあちゃんにはまだ「今」がある。
そう思ったほうがいいかな。
でもこれは、ある種のお別れなんだな、という気がします。
親しい人がボケるというのは、少しずつお別れしていく、という感じなんですね。
本当のお別れが来たときに周囲の人がショックを受けたりしないように、少しずつお別れをしていく、というのがボケる事なんじゃないかな、と思います。
だから、老人がボケるというのは、スムーズなお別れをするために神様がくれたプレゼントなのかも、と最近思ったりします。
おばあちゃんの思い出にはもう入れないけど、おばあちゃんにはまだ「今」があって、その「今」を共有できる。
そう思うと、おばあちゃんと過ごす「今」がすごく貴重に思えます。
おばあちゃんの不安を少しでも解消してあげられて、おばあちゃんがいつも笑顔でいられるように、できるだけのことをしてあげたいな、と思います。
今はまだ、私が誰なのかをちゃんと分かってくれるけど、そのうち私の事もわからなくなっちゃうかもしれません。
そうやって、少しずつ少しずつお別れをしていって、でもまだまだ残されたものがあって、たとえば、私が誰なのかを忘れちゃっても、一緒に同じものを見たりとか、一緒に笑ったりとか、そういうことはできるわけで、そんな些細な絆を大切に大切にしながら、ゆっくりゆっくりお別れしていく、そういうお別れも素敵かもしれません。
おばあちゃんの電話攻撃
最近、おばあちゃんは5分おきに電話をかけてきて、その都度同じ事を言います。
5分前に電話した事を忘れて、また同じ内容の電話をしてくるわけです。
夜は、おばあちゃんが寝るまで電話攻撃が止まらないときがあります。
朝は6時から電話が鳴り始めるときもあります。
電話に出ても出なくても、5分おきにかかってくるのです。
何日も続けて1日に何十回も引っ切りなしに電話が鳴るので、先週辺りはちょっとノイローゼ気味になっていたのですが、一度試しに、電話の最後に「私、今から寝るからね、おばあちゃんも早く寝てね、おやすみ、」と言って切ってみました。
そうしたら、その5分後にやっぱり電話が鳴りましたが、それに出ないと、次の日の朝まで電話は鳴りませんでした。
翌日も同じように電話の最後に「私、今から寝るからね」と言って電話を切ると、その5分後には電話が鳴るけど、それに出ないと、次の日の朝まで電話は鳴りませんでした。
電話に出ても出なくてもいつも5分おきに電話がかかってくるのに、「私、今から寝るからね」と言って電話を切るとそのあとは絶対に1回しか電話をかけてこない、ということは、「私、今から寝るからね」と言われたことを何となく覚えていて、その次に電話をしたときに電話に出ないと、寝ちゃったんだな、ってちゃんとわかってるみたいです。
そう思うと、本人が忘れたって言ってることって、本当に忘れたんじゃなくて、思い出そうとしてないだけなんじゃないかな、という気もしないでもありません。
つまり、緊張感が足らない、というような状況が持続しているのかも。
とにかく、電話攻撃はこれでなんとかかわせそうです。